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無くなるからこそ、美しい。/御菓子丸 杉山早陽子

京都の菓子工房「御菓子丸」
SENNウォーターオイルバランサーの香りの中でも特徴的な「クロモジ」。そのクロモジの枝を使った、京都の菓子工房「御菓子丸」による宝石のような和菓子『鉱物の実』を、6月の「HOME RETREAT」のお茶菓子としてお届けさせていただきました。

はっと心奪われる儚いお菓子たちを手掛ける「御菓子丸」杉山早陽子さんに、移り変わり無くなるからこその美しさについて、お話を伺いました。

すべてのものは森羅万象、移り変わって、最後には消えて無くなる。

 

ふと気づいてしまったそんな当たり前のことを表現したいと思ったとき、
私にとって一番ふさわしかったのが「和菓子」でした。

 

和菓子は、「五感の芸術」とも言われるように、味や香りはもちろんのこと、見た目にも美しく、触感も様々。そして、ひとつひとつのお菓子につけられた「菓銘」は、聴いても楽しめます。

季節の自然や風物詩をかたちどった、「風景の静止画」とも言えるかもしれません。

 

その素材の自由さに惹かれ、「五感の芸術」としてもっと可能性を広げていけるのでは、と京都で和菓子を学び、独自に創作をつづけてきました。

 

 

アイデアの源は、素材や自然を見ていて思いついたり、言葉や概念を形にしていったりと、それぞれです。

 

たとえば、「巣」という名のお菓子は、鳥の巣の写真を見て“きんとん”に似ていると気付き、形から入っていって、あとから味を組み立てていきました。

「しじま」「ふくみ」「さざれ」といったお菓子は、“概念”を形として表現しています。

 

でも、お菓子はすべて、「私はこう思います」という、ひとつの答えでしかなくて、絶対共感してほしいとは思っていません。

 

同じ映画を見ても人によって感想が違うように、それぞれの歩んできた人生が違えば、感動も変わる。それは、いい作品であればあるほど、そうであると思うのです。

 

お菓子と、食べてくださった方の人生が結びついたとき、
何かを思い出したり、想像したり、いろんな答えが出てくる。

その余白を残しています。

 

 

どんなに美しくても、お菓子は、食べたら無くなります。

人の人生も、物も、風化して、最後には無くなります。

 

10代の頃、ふと、「死ぬということが分かっていながら生きている」
という当たり前のことに気づいてしまった瞬間があって、
そこから「無」について、ずっと考え続けています。

 

だからこそ、いま生きている時間を皆と共有したい、

お菓子が、誰かの思い出のひとつになるようなものでありたい、と思うのです。

 

 

無くなるからこそ、記憶に残る、そう信じて。

 

お菓子のお写真 Photo by KoheiYamamoto

 

<PROFILE>

御菓子丸  杉山早陽子

1983年三重県生まれ。食べたら無くなる当たり前のことに着眼、鑑賞から食べるまでの行為を一つの体験として捉え、記憶に残る一瞬を菓子に込めて制作する。

HP:okashimaru.com

Instagram:@okashimaru_sayokosugiyama/